6月 湊川隧道と長田新文化を巡る 行って来ました
本日の最初のテーマである旧湊川は明治までは大変な暴れ川で元々は新開地から和田岬の方に流れており古くから湊川古戦場として知られ、1796年の摂津名所図会には堤防の上にうっそうと生える松林と広い河川敷の様子が書かれている。川床の高さは20尺ともいわれ典型的な天上川であったそうだ。阪神に今も天井川として残るのは芦屋川、来年開通の山幹のトンネル工事現場を見ればお分かり頂けると思う。工事は明治29年の豪雨での大決壊を契機にその被害をうれいていた小曽根喜一郎、神田兵右衛門、大倉喜八郎らの手のより流れを湊川から西に向きを変え会下山(えげやま)の下をトンネルで通し長田村の刈藻川に付け替えて明治34年に完成した。全長は600メートル、付け替えの為の膨大な費用は旧河川敷敷地を売却して調達した日本で初めてのPFI方式と言われ、鳥原貯水池、奥平野浄水場等の水道事業、兵庫運河開削事業と並び神戸における明治初期の3大土木事業と言われている。 今回、普段閉鎖している神戸歴史遺構のトンネルの内部見学会を兵庫県神戸県民局土木事務所のご厚意で実施、会員から大変な好評を得た。阪神間に住む方は是非一度見ておきたいものだ。
途中長田神社、監物太郎の碑、世にも珍しい敵味方が合祀されている源平合戦勇士の碑等の平家の歴史をたどりながら西代の山陽電車本社前に有る山電の車掌だった椎名麟三の碑を見学し、本日のもう一つのテーマ長田を訪れた。今長田は大変熱い、横山光輝さんの鉄人28号、三国志をきっかけに神戸とアジアングルメで大勢の観光客を集客し町おこしに成功、元気な街に大変身している。ここで散策を終り炎天下歩行の渇きを癒すべく阪神街中散策名物ランチ大会会場に一目さん、予算の割に昼から豪勢な昼食で盛り上がった事は言うべくもない。これほど盛り上がってもらえば世話役として言うことなし、無上の嬉しさ、やりがいを感じる。
次回はいよいよ7月22日に平城京1300年祭の会場と奈良町を訪ねます。当日は松寿会奈良の会員さんの説明を受けながら楽しく交流したいと思っています。
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