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 【世界文化遺産・姫路城】         このブログは松寿会阪神地区会員の皆さんの情報交換・連絡用です。投稿にはIDとパスワードが必要、管理人までご連絡ください。


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  昨日三宮からバスで神戸森林植物園のアジサイの写真を撮りに行って来ました。毎年このシーズンは関西一円よりアジサイ写真を撮る為マニアが殺到する為当日は臨時のバスを出して対応していました。同園のアジサイの最高見ごろは7月1日~3日頃、木曜からは雨が予想されますので週末にかけては絶好のシャッターチャンスと思われますのでお出かけされては如何ですか。

スライドショーはここからご覧ください
                     by管理人
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by syojyu-hansin | 2013-06-30 11:00 | 写真同好会 | Trackback | Comments(0)
  先日の6月例会は、NHK神戸放送局オープンスタジオでの「第32回トアステJAZZライブ」にて
多数の会員の皆様にお集まりいただき実施いたしました。
昼過ぎからの恵みの雨が本降りになる中、早くからの開場に驚き見込みの甘さにに後悔いた
しましたものの、回数を重ねるごとの聴衆の増加で熱気さえ感じる盛り上がりを見せました。
 【河本 江閲子QUINTET】、【MASAX with MEGU】のどちらも女性のテナーサックス奏者達の
熟練を思わせる音色に聞き惚れ、【 satoko 】 のジャズヴォーカルクイーンコンテスト放送局長賞受賞の
ソウルフルな歌唱力に魅了され、いつもながらの質の高さに満足させられました。入場無料で
2時間ジャズライブを満喫することができました。

さて、7月度の例会予定をお知らせいたします。
今回は、「日曜昼下がりのジャズライブ」を恒例のSONEで設定いたします。
現地ご集合で、各自の店前での列並びとなりますが、会員の皆様並びにご家族様のご来場を
お待ちしております。

                          記

f0222687_2143323.jpg  日程 : 7月28日(日)

  場所 :  Live House SONE
          神戸市中央区中山手通1-24-10
          ☎078-221-2055
        
  時間 : ①午後2時、②午後3時 の2回ステージ~午後4時頃終了
         *いつものように午後1時15分頃から列に並びたいと存じます。
  
  出演者: 井前人美(Vo)、加納新吾(P)、佐々木善暁(B)、岩高淳(D)

  会費 : 1,000円(1ドリンク付)

 人員掌握させていただきます為、ご出欠を7月20日(土)までにご返答をお願いします。

                          by事務局畑
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by syojyu-hansin | 2013-06-29 21:44 | Jazzライブ同好会 | Trackback | Comments(0)
パナソニック株式会社は、これまで大阪・京橋で展開していた「パナソニックセンター大阪」と「パナソニックリビングショウルーム大阪」を統合し、大阪北梅田のグランフロント大阪に、新しいコンセプトのグローバル情報受発信拠点「パナソニックセンター大阪」として2013年4月26日(金)グランドオープンします。

「住・美・食・楽」をテーマに構成された各フロア(2階から地下1階まで)では、最新製品の体験や、“明日のくらしのヒントが見つかる”お客様との共創型ショウルームとしてセミナーや、ライフスタイルプロデユーサー、フードスタイリスト、デザイナーなどによるワークショップを開催します。

地下1階のリビングフロアでは、エネルギー、水まわり設備、内装収納から、あかりまで、「わたしむきのくらし」を心行くまで試していただけるショウルームとして、「住」をテーマに、自分だけのくらしの興味を カタチにするお手伝いができる提案をしていきます。「こだわりのご夫婦」 「2世代同居」 「熟年ご夫婦」 「若い世帯」など、お客様のライフスタイルに合わせた展示は、先進の住宅設備を使った新しいくらし方を4つの空間で提案しています。見て、触れて、試せる商品コーナーでは、最新の住宅設備を体感でき、実際にプラン検討をされている方も、これから住まいづくりをお考えの方にも十分にご満足いただけるショウルームとなっています。

 詳細はここをクリックしてください
                         by管理人
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by syojyu-hansin | 2013-06-27 10:23 | パナソニック | Trackback | Comments(0)
パナソニックは26日、大阪市内で定時株主総会を開いた。冒頭、津賀一宏社長は、2013年3月期に2年連続で巨額赤字を計上し、63年ぶりの無配に陥ったことについて「誠に申し訳ございませんでした」と深々と頭を下げて陳謝した。

出席した株主からは、昨年の株主総会で当時社長だった大坪文雄会長が「最終黒字化とV字回復」を表明しながら、4カ月後の中間決算で津賀社長が2期連続の赤字に業績予想を下方修正したことを受け、経営責任を厳しく問う声が出た。

経営責任について津賀社長は、執行役員数や役員報酬の削減を実施するとともに、同日の総会で大坪会長が取締役を退任することを指摘。さらに「残された私の責任は業績回復と復配、中期経営計画を必達し、会社を改革していくこと」と答えた。

復配の時期を問われた津賀社長は「経営の先行きは分からないので、いつと明言すればまたうそつきになる可能性がある」として回答を避けたが、「復配は今年度の最優先事項」と答えた。

また「追い出し部屋」の報道を受けて「人を切って再生などできるのか」との批判が出たのに対して津賀社長は「人を大切にする会社であり続けたいが、産業構造が変わる中で、人の流動化も日本社会において必要」と述べた。

このほか株主からは「決算を見て涙が出た」と訴える声や、創業者の故・松下幸之助氏の言葉を引き合いに「血の小便が出るほど松下精神に戻ってほしい」と経営陣を突き上げる声が出た。

同日の総会で大坪会長は取締役を退任。一方で、大田弘子・政策研究大学院大学教授など17人の取締役の選任を決議した。

総会では、特別顧問に就任する大坪氏と、相談役の中村邦夫・元社長の手当てに関する質問も出たが、中川能亨常務は「内規や業績を踏まえて外部との関係を比較しながら適切に支給している」と述べるにとどめた。

午前10時から始まった同日の総会は、前年と同じく121分で終了。大阪の本会場には4508人(前年は5630人)の株主が出席。東京と名古屋の中継会場では1039人(前年は1188人)の株主がモニターで株主総会を視聴した。
                              byロイター
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by syojyu-hansin | 2013-06-26 16:44 | パナソニック | Trackback | Comments(0)
6月度街中散策例会は6月20日19名の会員様の参加を得て開催されました。
当日の早朝は激しい雨でしたが、スタート後はほとんど雨具も要らないラッキーな天候の中実施しました。
又、コースを一部変更し舞子公園付近の舞子砲台⇒舞子海上プロムナード⇒孫文記念館(移情閣)⇒旧武藤山路邸⇒旧木下家住宅など近くに住まいながら知らなかった神戸の明治~平成の文化や建築物を認識できた一日でした。

                                         by kambara






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by syojyu-hansin | 2013-06-22 09:55 | 街中散策会 | Trackback | Comments(0)
昨日の阪神街中例会にご参加頂きました皆さまお疲れ様でした。第41回散策会は雨天での実施にも
拘わらずなんと初参加2名を含め19会員さんに参会頂き楽しい1日を過ごしました。NHKnoTV等では西日本
地区豪雨予報を伝えていましたが例会中は殆ど傘をさす事も無く勿論舞子公園中心のコースに変更した事も
あり雨で濡れる事も無くこれまで41回開催で中止は唯の1回、改めてこの会の強運を実感しました。
廻ったコースは舞子砲台、舞子大橋プロムナード、孫文記念館移情閣、旧武藤家、旧木下家と神戸の明治・大正・昭和をシルバー料金且つガイドさんの詳しい解説きで巡りました。阪神名物昼食懇談会はガイドさんからご紹介頂きました舞子駅ビル7F「海彩園」で淡路の魚と天ぷらにコーヒーサービス付和気あいあい楽しい時間をすごしました。
 舞子遺跡巡り散策は次回以降機会を見て実施予定です。

7月山田の里散策会
松寿会会員であればどなたでも参加できます。お気軽に声をかけてください。
1実施日 :平成25年7月25日(木) (予備日なし)

2ご集合 :ご集合:神戸電鉄箕谷駅改札出口又は市バス箕谷駅バス停 AM0900
       神戸電鉄箕谷駅迄の交通ご案内
        1神戸電鉄ご利用(新開地 湊川 三田から)
        2三宮より東部にお住まいの方は
神戸市バス64系統北町行き乗車箕谷駅バス停下車が便利で安い
乗車場所:三宮ターミナル発08:27 発乗車時間20分 高齢者優待パス利用可

3散策コース:これまでの街中喧騒から離れ一転のんびり田園風景を楽しんで散策頂きます
      ・本コースは田辺真人先生監修NHK新兵庫史を歩く「やまあいの古道に沿って」のコースです
       尚田辺真人先生は本年9月秋期阪神地区懇談会で講演頂きます
      ・今例回は地元を良く知る三宅さん植田ご夫妻の先導で散策します
      ・昼食会場「桂林」:六甲国際ゴルフ場入り口近くにあるいつも満員の評判のレストランです
・コース
       寿福寺~下谷上農村歌舞伎舞台~新兵衛石~無動寺~六条八幡宮~昼食会場「桂林」
4お返事 :変更あり条件付でかまいませんのでお早目のお返事お願いします(7月11日までには)

5神戸電鉄箕谷駅交通のご案内
      1神戸電鉄ご利用(新開地 湊川 三田)
      2三宮より東部にお住まいの方は神戸市バス64系統北町行き乗車箕谷駅下車が便利で安い
       乗車場所:三宮ターミナル発08:27 発乗車時間20分 高齢者優待パス利用可

6雨天時例会開催原則について
 これまで曖昧だった雨天時例会実施について
  余程の豪雨予想以外若干の雨程度であれば今後は原則実施とします。
  理由は ①本年から予備日が無くなったが健康維持の為月一度は実施したい
  ②食事先、ガイドさん等関係先への迷惑 ③中止の場合は再度下見が必要
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by syojyu-hansin | 2013-06-22 06:31 | 街中散策会 | Trackback | Comments(0)
 山田町は西六甲連山東側(摩耶山~高取山)と丹生山系(帝釈山系)に挟まれた93K㎡(宅地開発で山田町から独立した新興住宅街を含む。北区の約40%、9区からなる神戸市の約1/6)の地域で、13の字から構成されている。(地図) 神戸電鉄の大池あたりを水源として西へ流れる山田川(志染川)(関連リンク)の流域で、六甲山系と丹生山系(帝釈山系)という自然の要害に囲まれた地域は、その流域にある美しい丹生(たんじょう)山に因んで丹生(「にう」または、「にぶ」)の山田と呼ばれている。

 一見、幕末から明治維新にかけての神戸開港後に拓かれたと思われがちなこの地域は、丹生山系の北側の淡河川の川筋とともに京都・摂津から播磨・山陽方面に抜ける裏街道としての役割を果たし、いつの時代にも人々の往来があり、結果として都の文化が早くから伝わり豊かな地域文化が育った。

  奈良時代初期(8世紀始め)に記された日本書紀、古事記に登場する伝説上の神功皇后(応神天皇の母、解説)のエピソードが、丹生山の名前の由来と言われる。「山田村郷土誌」によれば、丹生という地名の起こりは、播磨風土記の記述に基づき、「国堅大神(註:くにかためまししおほかみ)の子、爾保都比売(註:にほつひめ)神、此の土を治め、神功皇后(解説)征韓の時に当たって神誨(註:おつげ)を国造(地方長官)の女(註:むすめ)石坂比売に憑りて(註:のりうつって)告げしめ、斯の山(註:丹生山)の丹土(註:赤土)を出さしむ。これより丹生の郷と称するに至る。」と説明している。(丹生神社・明要寺跡参照、註:国堅大神(くにかためまししおほかみ):播磨国風土記での大国主大神(オホクニヌシ)の別称)

 朝鮮半島遠征から帰った伝説の神功皇后の仮の棲み家、行宮跡に皇后の子の応神天皇を祀って平安時代中期(10世紀末)に創建した社が中にある山田13ヶ村の総鎮守、六條八幡神社の起りと伝えられている が、実際には六條八幡は源頼朝から山田荘を寄進された左女牛若宮八幡社が京都の八幡社を分祀したのが始まりと思われる。
 六條八幡神社は、南北朝時代から室町時代にかけて相当な社領をもって繁栄したらしい。江戸時代、山田が幕府領、藩領、旗本領、寺社領などに分割された後にも丹生山田としてのまとまりを保ってきたのはこの六條八幡神社であったと言えそうだ。
 伝説はともかく、山田の初期の発生過程は記録に乏しくよく分かっていない。山田小学校付近から発見された竪穴式住居跡などから弥生時代~縄文時代に人が住み始めていたのは確からしい。その後の断片的な記録から推定すると、平安後期には貴族の荘園となり、その後東大寺寺領、平家領(越前の所領地と交換)、左女牛(さめうし)若宮八幡社領(源頼朝が寄進)を経て江戸時代に至るようだ。
山田には、六條八幡神社をはじめ、箱木千年家、丹生神社、無動寺、下谷上農村歌舞伎舞台などの農村舞台、数多くの歴史的文化財(関連リンク)が残っており、その多くが、山田川(志染川)(関連リンク)の流域(特に北岸)に存在している。特に、山田に数多く残る近江式の文様を持った石造建造物(宝篋印塔(解説)など)は、南北朝から室町にかけて山田が都と西国を結ぶメインストリートであったことを物語っている。この丹生山田独特の文化を「丹生文化」と呼ぶ。
これ以降、山田という地名はあまり表に出ないものの、日本史上のいくつかの事件の舞台となる。

•平安末期の1180年6月、平清盛(解説)は公家の反対を押し切って福原(神戸市兵庫区)への遷都を決行(結局、同年11月には京都へ戻る)したが、この時、丹生山を京の比叡山になぞらえ、夢野(兵庫区)から烏原谷をのぼり、菊水山の西の谷川を北進して丹生山に月参りをした。清盛が烏原から山田まで山道の左側に1丁(約100m)毎に立てた丁石が、今も丹生山の参道に25基残っている。当時(古代から中世にかけて)、この地域は「山田荘(やまだのしょう)」と呼ばれる荘園で清盛の時代は平家の所領であった。

•1184年の一の谷の合戦の際、平家の奇襲に向かう源義経は、山田の東下まで来て考え込んだ。「ここから先の鵯越の山道をくわしく知っている者はいないだろうか」「原野の鷲尾武久という狩人ならばよく鵯越の道案内をつとめましょう。」奇襲が成功し平家が敗走した後、義経は自らの一字を授けて武久を義久と改名させた。その後、鷲尾家は近隣で大きな勢力を握った。

•楠正成の湊川の戦で有名な南北朝の騒乱では、丹生寺城に拠った南朝方武将や明要寺の僧兵たちが、北朝の赤松勢などと激しい戦闘を繰り返した。

•織田信長の時代(1579年頃)信長に敵対した三木の別所氏に味方したこの地域の豪族や、丹生山明要寺などは、羽柴秀吉の軍団の激しい攻撃にさらされた。戦闘で明要寺から北東の尾根づたいに帝釈山の東まで逃げてきた大勢の稚児達が秀吉方の武士に切り殺された山が稚児ヶ墓山と呼ばれるようになり、村人が墓に供える花を手折った稚児ヶ墓山の東の峰が花折(はなおれ)山となった。

•江戸時代、この地域は農村歌舞伎や人形浄瑠璃が盛んであったが、天保の改革(解説)を行なった水野忠邦による風俗粛清で職を失った大坂の浄瑠璃の太夫や人形遣いが山田の地に流れてきて、水野忠邦失脚後益々盛んになった。箕谷駅から北へ10分の天彦根神社境内の下谷上農村歌舞伎舞台は、スケールの大きさ・特別な機構で国の重要文化財に指定されている。(*5)
•幕末には、神戸開港に備えて外国人との衝突を避けるための西国街道のバイパス徳川道が石屋村(灘区、阪神石屋川付近)を起点に現在の森林植物園を通り、小部、藍那を抜けて、白川村、布施畑村を経由して明石の大蔵谷まで拓かれたが、明治維新の混乱の中ですぐに廃止されてしまった。その徳川道は現在六甲連山のハイキングコースに名残を留めている。

•最近は温暖化による品質低下、各地のご当地米の台頭で勢いが落ちてきているが、現在名品といわれる全国のほとんどの吟釀酒が使っている「山田錦(関連リンク)」という原料米は、大正12年に兵庫県立農事試験場で「山田穂」を母に、「短稈渡船」を父にして交配され、その中から優秀な苗を育て、昭和11年、親の山田穂と錦のようないい米という意味で命名されたが、「山田錦」の母にあたる「山田穂」が、山田町で生まれたとする説もある。

•衝原から志染(しじみ)町にかけて横たわる衝原湖は、昭和50年代に呑吐(どんと)ダムの建設によってできた湖で、その際、旧位置が水没することになった前述の箱木千年家が高台の現在地に移築されている。
•戦後は、山田町の南部、山田川(志染川)より南側に神戸・大阪のベッドタウンとして急速に宅地化が進み、人口が急増。現在もまだ開発が続いている。小部から独立した鈴蘭台は、北区の行政・交通の中心地となっている。地形的、文化的には、ほぼ中央を東西に連なる山並み(六甲山-走折山(現在の小部峠:明治7年有馬街道開通の際に削られた?)-惣山-双六山(現在の北鈴蘭台西側の泉台のあたり?)-長坂山(小部・藍那・原野・東下の境界付近))を境にして、2つの地域に分かれており、北側の山田川(志染川)流域は「奥一里」「谷通り」などと呼ばれ、南側は「中一里」「尾通り」などと呼ばれていた。(六甲山系以南の浜側は「口一里」と呼ばれていた)
「奥一里(谷通り)」には、上谷上、下谷上、原野、福地、中(中村)、東下、西下、坂本(山田村郷土誌では阪本)、衝原が属し、「中一里(尾通り)」には小部(江戸後期は東小部、西小部)、藍那、小河が属し、全体で山田13ヶ村を構成していた。

 江戸時代の摂津国八部(やたべ)郡、明治に入って兵庫県武庫郡(明治29年(1896))、昭和22年(1947)に神戸市兵庫区、昭和48年(1973)神戸市北区となって現在に至る。現在の山田町の13の字は、山田13ヶ村と言われていた13の村とは一部異なり、東小部村、西小部村が小部に集約され、幕末に開墾された与左衛門新田(今は全域がゴルフ場)が加わっている。与左衛門新田には当然集落はないので、六條八幡神社の氏子を構成する地区には含まれず、東下西が入って13の幟が六條八幡神社の境内に翻っている。

山田の歴史
前述の「山田村郷土誌」および神戸市教育委員会発行の「つくはら」の記述を中心に、山田郷の成り立ちを追ってみる。山田北方の山地(南方の菊水山、西下のゴルフ場でも)では、縄文前記と見られる石鏃(矢じり)が数点発見されているものの、呑吐ダム建設に当たって行われた考古調査では里では顕著な遺跡・遺物は発見できていない。山地の矢じりも、周辺から狩猟に出かけてきたとも考えられ、山田に人が住んでいたという確証はない。
 弥生時代から古墳時代にかけては、中の山田小学校南側で弥生時代末期の竪穴 住居や掘立柱建物、古墳時代中期末~後期初めの竪穴住居、山田小学校構内で飛鳥時代の竪穴住居が確認され、歴史に確実な痕跡を標している(山田小学校構内では平安~鎌倉時代の竪穴住居、土壙墓も発見されている)(「神戸市史」)。周辺では北方の道場町、西北の三木市志染、西方の押部谷などで多数の古墳が発見されている。
7世紀(大和時代後期)以降、歴史は文献の時代に入るが、山田の名前が文献に登場するのは11世紀(平安時代)まで待つ必要がある。10世紀に成立した「倭名鈔」の摂津国八田部郡の郷にも山田は見出せない。大化の改新に始まる律令制下では50戸でひとつの郷を構成するため、山田は50戸に達していなかったのだろう。
 なお、丹生山の山間に須恵器(解説)・土師器(解説)などの遺物が見られることから、奈良時代には明要寺またはその前身となる寺か修行所があったことが推定され、丹生山南麓にも集落が出来ていたことが推測される。
 山田の自然条件は、この頃までの農耕技術では生産を発展させるには厳しすぎたかもしれない。しかし、律令体制が大きく崩れ、各地に荘園が出現してきた平安中期ころになると、農耕技術も発達し、むしろ国衙
権力が入り込みにくい自然条件と治安の悪さが、荘園として山田が急速に発展するための有利な条件となったかもしれない。そして、中央の文化も入り込み、無動寺の諸仏の造立に見られるように確実に文化も高まっていったと考えられる。無動寺がいつ開基されたかは不明だが、仏像の製作時期から見て、平安後期までには開創されていたと思われる。
 平安後期、長元8年(1035)正月20日付けの九条家本『延喜式(解説)』の紙背文書(解説))に文献上の記述として初めて山田の地名が現れる。
「山田荘は摂津と播磨の国境にあり、不善の輩が往還し、ある時は放火、ある時は殺害などの犯罪を犯す状況である。そこで政所から別当(解説)殿に申請して、摂津国衙の庁宣を八部(やたべ)郡司と荘司らに賜り、不善の輩の犯行を停止し、かつは犯人である坂本連種と男二人を逮捕して欲しい」 これは、僧 住元なるものが、摂津・播磨の国境で警察力の及びにくい山田荘の治安の悪さを訴え、その取締りのための庁宣(在京の国司が現地の国衙役人に出す命令)を政所に申請したものであるが、単なる犯罪というより土豪勢力(坂本村の住人?)の武士化への動きとも思われる。なお、荘園がどのように成立し、持ち主が誰であったかについては不明である(当時、摂津西部には摂関家(解説)の荘園が多かった)。
 前記文書の約130年後の平安末期、嘉応元年(1169)に山田は再び文書上に現れる。嘉応元年11月付権大僧都某の解(東大寺文書)で、山田荘は入道太政大臣家の所領越前大蔵荘と交換されたと示されている。入道太政大臣とは平清盛のことと思われ、つまり、山田荘は平家の所領となった。このことは「山田村郷土誌」(*20)などに記されている平家と山田の結びつき(清盛の参詣道参照)とよく一致する。(*32)
なお、寛文13年(1673)に作成された六條八幡神社の縁起(「山田村郷土誌」(*20))では、源為義(解説)が、京都六条にあった源氏の堀川屋敷の鎮守であった左女牛若宮八幡宮を山田に勧請したとして、この時期、山田が源為義(解説)の 所領だったとしているが、これは、平家滅亡後、文治3年(1187)に源頼朝が山田を左女牛若宮八幡宮の社領地として寄進した(『吾妻鏡』(解説))ことから類推した誤伝と思われる。(*32)
六條八幡神社は山田が左女牛若宮八幡宮の社領地となった後、荘園領主の権威の象徴として京都の左女牛若宮八幡を勧請・分祀したと考えられるが、各村々にはほとんどが従来から山田・播磨で広く信仰されていた大歳神社がそのまま残り、八幡神社が祭られることはなかった。
話は前後するが、古代の山田の締めくくりとして国家的大事件が山田を駆け抜けて行った。源義経の一の谷奇襲である。詳しくは「義経の進軍路」に記したが、多くの謎と伝説を山田の地に残して時代を武家の時代へ転換していった。
 南北朝時代になると、丹生山が南朝方武将の拠点となって、戦闘が繰り返された。後醍醐天皇が吉野で吉野朝廷を拓いた延元元年(建武3、1336)年末頃から天然の要害であり交通の要衝であった丹生山に新田義貞の武将であった金谷経氏が城を築き山陰の中道を差し塞いだ(『太平記』。翌建武4年(1337)、赤松円心によって丹生寺城は一旦陥落したが、暦応元年(延元3、1338)には三草山(播磨国加東郡)、生田神社、湊川、明石城などに進出した。北朝武家方の戦力も強化されていった。暦応3年(延元5、1340)赤松勢が柏尾に陣して数ヶ月合戦したのを最後に記録は途絶えるが、陥落または自然消滅したものと思われる。この合戦には南朝方武将だけではなく、明要寺の衆徒(僧兵)も大いに協力したものと思われる。

 この南北朝の前後に、現存する日本最古の民家である箱木千年家の母屋部分が建てられた。江戸時代中期の『摂陽奇観』『摂津名所図会』では、箱木千年家が平安初期の大同元年(806)に建てられたとして紹介されていた。

 ともに湯乃山街道(湯山は有馬温泉と呼ばれた淡河・山田の2つの川筋のうち、室町時代あたりまでは山田川沿いの丹生山田の方が重要な役割を果たしていたことを、南北朝から室町にかけての近江式の文様を持つ宝篋印塔などの石造美術品が物語っている。近江式の文様は近江で発達し山城(京都)を経て摂津・播磨に伝わったが、その道筋は西国街道も、江戸時代に山田を上回る繁盛を示した淡河も通らず、宝塚、有野から山田道を辿っている。この頃には有馬の湯治客も増え、地方から京へ、また、京から地方へ向かう湯治客や寺社参詣客によって文化が伝播し、山田に根付いていった。この丹生山田独特の文化を「丹生文化」と呼ぶ。この山田川沿いの湯乃山街道と海岸部の兵庫方面を結ぶ道も、峠道の安全を祈って作られたであろう室町時代の応永8年(1401)建立の小部峠の宝篋印塔や更に古い南北朝時代後期と推定される藍那の辻の宝篋印塔が示すように古い時代から利用されており、山田の地は交通の要地でもあったことを示している。
 戦国時代になり、天正6年(1578)、三木城主別所長治が織田軍の羽柴秀吉に抵抗し、石山本願寺、毛利、荒木村重と連携して三木城に籠城したとき、丹生山城も三木城を支援する外城のひとつとして、また、毛利による摂津花隈(荒木の支城)-丹生山-淡河-三木のか細い補給ルートの基地として近郷の一揆2,000人がこもったという。このキーポイントというべき丹生山城に対して秀吉は精兵300人で夜襲をかけ男女の差別なく籠城軍をなで斬りにし、同時に明要寺の堂舎に火をかけて丹生山城もろとも灰燼に帰した。このときのエピソードが稚児ヶ墓山・花折山の地名の由来として伝説に残っている。

 秀吉の天下統一から江戸時代の幕藩体制に移行する中で、山田は従来の中世的荘園制度から山田13ヶ村それぞれが村として幕府の支配行政の単位となった。江戸時代の山田は特にこれといった事件も記録に残ることなく、同じく湯ノ山街道と呼ばれた北回りの淡河に本陣が置かれることにより時代からも取り残された存在になっていったかと思われる。こういった状況の中でも中世以来の伝統を守りつつ、江戸末期には、天保の改革(解説)を行なった水野忠邦による風俗粛清で職を失った大坂の浄瑠璃の太夫や人形遣いが山田の地に流れてきて、村々に農村歌舞伎舞台も設けられた。

 江戸時代にはほぼ全域が幕府領となった後、旗本領・藩領・寺領などに分割されて行ったが、大部分は幕府領のまま明治維新に至っている。その後1889年(明治22)の町村制施行(地図)により八部郡山田村に改称後、1896年(明治29)から武庫郡に属していたが、1947年(昭和22)に神戸市兵庫区山田町となり、兵庫区の分割により1973年(昭和48)から北区に属することとなった。
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by syojyu-hansin | 2013-06-21 11:23 | 街中散策会 | Trackback | Comments(0)
明日6月20日の街中例会はボランティアガイドさん(シニア 女性)と又街中世話役会で調整の結果実施する事に
決定しました。

 ボランティアガイドさんと相談した結果雨天の場合はJR朝霧からJR舞子に移動、舞子砲台、木下家、武藤家
移情閣等舞子公園内を中心に回るコースに変更する予定です。
勿論ご集合はJR朝霧です。安心してご参加ください。

 14:00時現在発表の天気予報は
    ヤフー天気予報 0900~1500 曇り
    NHK予報    明日午前中は3mm~5mmの雨 となっています

1. 多分多少の雨が降る恐れもありますが今年よりこの例会は予備日が無くなりました。
年が行ってからの足の衰えはタブーです。またこれまでボランティアガイドさん始め関係各位に実施方で
お願いしてきた経緯もありますし、会員サイドでは1月に1回のウォーキングは貴重な運動体験となる事等
考慮し例会は実施と致します。
参加される方は足元が濡れても良いようなレインシューズと大きめな傘を持参下さい。なお体調に自信
のない方の欠席はやぶさかでありませんので折り返しその旨ご連絡ください。食事の関係が有り
ますので変更時は必ずメール下さい。

2.食事場所
新鮮な海の幸「海彩園」大名膳 舞子駅ビルティオ7階 ☏078-786-5228
                       by街中世話役 伊部
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by syojyu-hansin | 2013-06-19 20:27 | 街中散策会 | Trackback | Comments(0)

真山仁 「黙示」

f0222687_20401852.jpg 今真山仁の「黙示」を読んでいるところだが書中ミツバチの群れを崩壊に追い込むネオニコチノイド系農薬の指摘が有るがなんと金沢大学が比較的低濃度でも巣箱の中のミツバチがいなくなり、群れが消える「蜂群崩壊症候群(CCD)」に似た現象が起こるとの実験結果を発表した。まだ半分を読んだ途中だがあまりにもタイミングの良いニュースにびっくり!

  国内外で広く使われているネオニコチノイド系農薬をミツバチに摂取させると、比較的低濃度でも巣箱の中のミツバチがいなくなり、群れが消える「蜂群崩壊症候群(CCD)」に似た現象が起こるとの実験結果を金沢大の山田敏郎教授らのチームが17日までにまとめた。

 山田教授は「ハチが即死しないような濃度でも、農薬を含んだ餌を食べたハチの帰巣本能がだめになり、群れが崩壊すると考えられる」と指摘。養蜂への影響を避けるためネオニコチノイド系農薬の使用削減を求めている。一方農薬メーカーは「科学的根拠が明らかでない」と否定的な見方を示した。

 山田教授らは、約1万匹のセイヨウミツバチの群れを使用。ネオニコチノイド系農薬のうち、ジノテフランとクロチアニジンを、糖液と花粉ペーストに加えて投与し、4カ月間、群れの中の成虫と幼虫の数の変化を、写真を使って調べた。
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by syojyu-hansin | 2013-06-17 20:40 | 読書 | Trackback | Comments(0)
6月8日(土曜日)好天に恵まれて植樹地の下草刈り活動を昼過ぎまでに終えて、15時からは芦屋市民センターにて25年度年次総会を開催前期決算ならびに本年度活動計画と予算案、会規約改定案を中心に審議いただきました。
植樹した苗の保育の為の下草刈りは今後も秋まで続きますが、今年は安全作業など研修面も充実をはかってゆく予定です。
総会終了後は懇親会に移り活動でかいた汗をビールで補給して散会しました。
                                                 フォレスター松寿 篠島益夫

活動地集合写真
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総会の様子
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懇親会の様子
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by syojyu-hansin | 2013-06-15 23:46 | フォレスター松寿 | Trackback | Comments(0)