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by syojyu-hansin

邪馬台国の最有力候補?纒向(まきむく)遺跡

 邪馬台国の最有力候補?纒向(まきむく)遺跡_f0222687_651338.jpg11月中旬の新聞に日本人なら皆関心がある邪馬台国が「大和・桜井纒向遺跡か?」の記事が載っていた。発見された大型建物跡は推定床面積約238平方メートル、弥生時代最大規模の吉野ケ里遺跡の「主祭殿」の約1.5倍になること、同一直線上で南北対称となる建物配置は邪馬台国が纒向遺跡にあったという有力な根拠と考えられている。大いにロマンを感じる記事である。

 「歴史倶楽部纒向遺跡」はここからご覧ください
                 by管理人


 邪馬台国の最有力候補地とされる纒向(まきむく)遺跡(奈良県桜井市)で、卑弥呼(ひみこ)邪馬台国の最有力候補?纒向(まきむく)遺跡_f0222687_6543364.jpg(248年ごろ没)と同時代の3世紀前半の大型建物跡が見つかり、桜井市教委が10日、発表した。柱穴が南北19.2メートル、東西6.2メートルに整然と並び、同時代の建物では国内最大級。過去の発掘調査で確認された3棟の建物や柵列と共に、東西方向の同一直線上で南北対称となるよう計画的に配置されており、卑弥呼の「宮室」(宮殿)の可能性がある。邪馬台国大和説を前進させる成果と言えそうだ。

 78年に柵と建物跡が確認された調査地点を、今年2月から区域を広げて再度調査。東西に計画的に並ぶ三つの建物群や柵を確認。大型建物跡は、その東側の区域で新たに見つかった。

 直径約30センチの柱跡が南北に4.8メートル、東西に3.1メートルの間隔で並んでおり、南北方向の柱の間には床を支える細い束柱の穴があった。

 邪馬台国の最有力候補?纒向(まきむく)遺跡_f0222687_656872.jpg市教委は、後世に柱穴が削られた西側も含め、東西幅は倍の12.4メートルだったと推定。復元図を作成した黒田龍二・神戸大准教授(建築史)は、地上約2メートルに床を設けた高床式・一層の入り母屋造りで、高さは約10メートルとみている。

 推定床面積は約238平方メートルあったとみられ、弥生時代最大規模の環濠(かんごう)集落とされる吉野ケ里遺跡(佐賀県)で最も大きい「主祭殿」(2~3世紀)の約1.5倍になる。

 また、同一直線上で南北対称となる建物配置は、同時期までには例がない。飛鳥時代(7世紀)の宮殿と共通する特徴で、当時の王権中枢の一角であった可能性が高い。

 石野博信・兵庫県立考古博物館長(考古学)の話 邪馬台国が纒向遺跡にあったという有力な根拠。建物は同時代には例のない大きさだ。住まいとしては大規模すぎ、祭祀(さいし)の場で、魏志倭人伝にある卑弥呼の「宮室」に相当するのではないか。

 【ことば】纒向遺跡

 奈良県桜井市の三輪山西側に広がる3~4世紀の大規模集落遺跡。東西約2キロ、南北約1.5キロに、最古級の前方後円墳とされる纒向石塚古墳や、卑弥呼の墓との説がある箸墓(はしはか)古墳がある。各地の土器が持ち込まれ、邪馬台国の最有力候補地とされる。71年から発掘調査が始まり、今回で166回目だが、小規模な発掘が多く、全体像は分かっていない。

 2009年11月 毎日新聞より
                        
by syojyu-hansin | 2010-12-04 07:02 | 生活・文化・教養