江井島酒造 家系と家業その長い歴史

江井島酒造
江戸時代、明石の西部地区の浜手は「灘」と呼ばれていました。良い湧き水と播磨平野の良質の米に恵まれた灘では、酒造りが必然のように盛んになり灘の酒として、その名声を博しました。 ところが東(神戸・灘)が全国的に知られるようになったことから、この地域を西灘と呼ぶようになったのです。西灘で酒造りが始まったのは、江戸時代初期のこと。土地の旧家だった卜部家の二代目卜部八兵衛のころからでした。
江井島酒造の歴史
「卜部家は、鎌倉時代の名著“徒然草”の作者である吉田 兼好の後裔です。ちなみに始祖は、平安時代初期・881年頃の伊豆出身の人物で平麻呂(ひらまろ)と申し、宮中で周易(亀の甲羅による占い)を司っていました。兼好は、この平麻呂から十四代目に当たります。兼好の息子・兼実(かねざね)は、戦乱の世を儚んで京都の嵯峨野に流浪していましたが、摂津守護職にあった赤松 円心より召し出され、その後、四世代にわたって赤松家に奉公していたのです」
赤松家を離れて武家を捨てた吉田 兼有は、この地で帰農した際、始祖・平麻呂以来の占術を由として「占」を「卜」と改め、卜部の姓を付けたと七代目・卜部 社長は解説します。
by地酒蔵元会
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